今参局失脚、伊勢貞親・季瓊真蘂台頭

文安六年(1449)の
義政将軍就任から
しばらく後は、
義政の母・日野重子、
義政の妻・日野富子に加え、
乳母・今参局ら、
近習の意向も強く働く、
複雑な権力構造に。
しかし長禄三年(1459)、
今参局が失脚・自害。
その頃から、
伊勢貞親・季瓊真蘂が
新たな側近として台頭する

「室町政争戦乱史」目次
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義政将軍就任

  • 嘉吉三年(1443)、
    室町将軍足利義勝死去
    諸大名の評議の結果、
    兄弟の中から
    九歳の三春(さんはる)が
    継嗣として選ばれる
    (のちの
    足利義成=足利義政)
    (以後「義政」と表記)
    (この頃、禁闕の変が勃発)
  • その後、
    文安六年(1449)に
    義政は元服し、
    征夷大将軍にも就任。
    成長するにつれ、
    義政は親政を
    志向するようになる
  • この頃、管領職は
    細川勝元畠山持国
    交互に務めていた
  • 一方、将軍の近習
    烏丸資任、
    有馬元家、
    今参局
    らの意向も強く、
    都にはこんな落書が立った。
    政は三魔に出ずる也。
    御今・有馬・烏丸
    (烏丸資任は義政の乳父。
    今参局は義政の乳母)
  • 加えて
    義政の母・日野重子
    権勢をふるい、
    義政の正室である
    日野富子もいる-
    と、将軍周辺は
    極めて複雑な構造が
    できあがっていた

今参局失脚

  • 長禄三年(1459)、
    義政の正室・日野富子が
    出産した実子が早世
  • これが今参局が呪詛した
    ためであると風聞があり、
    今参局は捕縛され、
    琵琶湖の沖島に流され、
    自害した

伊勢貞親・季瓊真蘂台頭

  • 今参局失脚の
    少し前ごろから、
    将軍足利義政の
    新たな側近として、
    伊勢貞親
    季瓊真蘂
    (きけいしんずい)
    が台頭
  • 伊勢貞親は
    「室町殿御父」
    とされ、義政と
    養父子関係を結び、
    長禄四年六月には
    正式に政所執事に就任する。
    引き続き、
    義政は将軍親政を
    目指していた-

補足

  • とにかく複雑で
    わかりづらいのが
    このあたり。
    関東でも畿内でも
    いろんな事件が
    並行して起き、
    しかもそれらが
    相互に絡み合っている。
    足利政知の関東下向にも
    貞親らの意向が
    働いているとされる
    natsunishiki.com/kyoutoku_no_ran_1
  • これまでにまとめた
    畠山家家督争いにも、
    斯波氏の内紛
    (長禄合戦)の幕府介入にも、
    もちろん彼らの意向が
    関係しているが、
    手に余るので割愛する
    (複雑すぎてよく分からない)
    natsunishiki.com/hatakeyama_mochikuni/
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  • 今参局は
    大館(おおだち)家という
    家の出身らしい
  • 宝徳二年(1450)から
    三年にかけて、
    「尾張国守護代交代事件」
    というのが起き、
    これが日野重子vs.今参局の
    争いらしいのだが、
    登場人物が複雑すぎて…
  • 季瓊真蘂は、
    あの、「嘉吉の乱」で
    焼け落ちた赤松邸から
    将軍義教の遺骸を
    発見した人物である
    natsunishiki.com/kakitsu_no_ran/
  • 「三魔」落書の作者は
    ラッパー

場所

参考書籍