池田屋事件/禁門の変

池田屋事件

  • 参与会議の瓦解を見て、
    京都で力を失った、
    尊攘派が復活をはかる
  • 長州藩では久坂玄瑞らが
    上洛を唱えており、
    京都の尊攘派もこれに呼応
  • 元治元年(1864)六月五日、
    新選組が尊攘派志士が会合する
    池田屋を襲撃
  • その場にいた
    宮部鼎蔵(肥後藩)、
    吉田敏麿(長州藩)らが死亡し、
    新選組が圧勝

禁門の変

  • 池田屋事件を受け、
    長州藩は激怒
  • 六月十六日、
    長州藩、上洛の進軍開始
    (家老・信濃国司、
    福原越後、
    益田右衛門介が指揮)
  • 長州藩は伏見・山崎・嵯峨から
    京都を狙う
  • 京都では幕府軍八万が迎え撃つ
  • 七月十九日、
    長州藩と幕府軍の戦闘が開始
  • 長州藩は蛤御門まで
    進撃するが、
    会津・薩摩藩の攻撃を受け、敗走
  • 久坂玄瑞は負傷し、自刃
  • 真木和泉も天王山に撤退後、
    自刃する
  • 御所に向かって発砲したことで、
    長州藩の立場はさらに危うくなる

補足

  • 禁門の変の直前、
    佐久間象山は、
    天皇の彦根への遷座、
    さらに江戸遷都を
    工作していた
  • が、七月十一日、
    河上彦斎により、
    象山は暗殺される
  • 薩摩藩を率いていたのは、
    沖永良部島への
    遠島から復帰したばかりの
    西郷隆盛だった
  • 蛤御門の戦いでは、
    会津藩の砲兵隊長・
    山本覚馬が活躍し、
    形勢をつかんだ

参考書籍