宝治合戦(三浦氏滅亡)

「宮騒動」で
名越家・九条頼経を倒した
執権北条時頼は
宝治元年(1247)、
再有力御家人の三浦氏と対立。
三浦泰村・光村兄弟ら、
三浦氏を滅ぼす

三浦氏と北条氏

  • 寛元四年(1246)三月、
    北条時頼が執権に就任
  • その直後の
    寛元四年(1246)五月、
    「宮騒動」
    が発生。
    時頼はこれに勝利する
    natsunishiki.com/kangen_no_seihen/
  • この頃、三浦氏は、
    北条氏と並ぶ、
    鎌倉幕府創設以来の
    最有力御家人一族だった
    (当主は三浦泰村)
  • しかし、泰村の弟の
    三浦光村は反北条氏の
    側面が強かった
  • 一方、
    時頼に影響を与えていたのは、
    時頼の外祖父の安達景村らしい

三浦氏滅亡

  • 宮騒動後、今度は
    北条・三浦間の
    緊張が高まる
  • 宝治元年(1247)六月五日、
    執権北条時頼は三浦泰村に対し、
    討伐する意志がないことを示す
    これで、
    戦の危機は去ったかのように見えた
  • しかし安達景盛が
    三浦泰村邸襲撃を決行
  • 泰村一行は館を出て
    法華堂に立て籠もる
  • 総勢五百人がそこで自害
  • 同時に千葉英胤一族も
    滅ぼされる
  • この
    「宝治合戦」
    で、北条氏に匹敵する
    有力御家人は滅亡した

その後

参考書籍