平禅門の乱

霜月騒動後の平頼綱政権

  • 弘安八年(1285)十一月、
    内管領・平頼綱
    霜月騒動で、
    安達泰盛を滅ぼす
    (霜月騒動)
  • その後も、頼綱が
    幕府政治を主導していた
    (執権北条貞時は若年)
  • 頼綱は、
    自身の権威引上げのため、まず
    得宗北条貞時・将軍源維康の、
    朝廷での身分を
    さらに引き上げようとする
  • さらに頼綱は、
    自身の息子・飯沼助宗の
    朝廷での官位を上げ、
    検非違使や阿波守につかせた

平頼綱滅亡

  • しかし、
    頼綱の政治は
    多くの者から
    恐れられていた
  • 北条貞時は成長し、
    しだいに頼綱に不信感を
    抱くようになる
  • 正応六年(1293)四月十三日、
    鎌倉に大地震が発生。
    二万三〇〇〇人の死者が出たとされ、
    鎌倉は大混乱となる

平頼綱滅亡

  • 同月、北条貞時の軍勢が、
    経師ヶ谷の
    平頼綱屋敷を襲撃
  • 平頼綱と
    その子息飯沼資宗は

    滅ぼされてしまった
  • この一連の事件を
    「平禅門
     (へいぜんもん)
     の乱」
    と呼ぶ
  • こののち、執権北条貞時が
    政治の実権を握るようになるが…
    [嘉元の乱]
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参考書籍