畠山重忠の乱

北条時政は牧の方を後妻とし、
二人の娘婿に平賀朝雅がいた。
元久二年(1205)六月、
三人は有力武士畠山重忠・重保の
討伐を決行。
畠山一族は滅亡する

牧の方と平賀朝雅

  • 建仁三年(1203)の
    「比企氏の乱」後、
    北条時政が主導権を握る
  • その時政は、
    牧の方という女性を
    後妻としていた
  • 間には娘がおり、
    信濃源氏で、
    頼朝の猶子でもある
    平賀朝雅の妻となっていた

畠山重忠・重保

  • 畠山重忠は
    秩父平氏の嫡流で、
    治承寿永の乱で
    源頼朝に従った
  • 頼朝死後も
    重忠は幕府の
    重鎮の地位にあった
  • 重忠の息子に
    畠山重保がいる
    (後世では美男とされ、
    人気がある)

畠山一族滅亡

  • しかし、
    北条時政・平賀朝雅と、
    重忠との間に、
    次第に亀裂が発生
    (朝雅は時政の娘婿)
  • 北条時政が
    牧の方、平賀朝雅らと
    ともに重忠の殺害を企てる
    (牧の方は時政の後妻)
  • 元久二年(1205)
    六月二十一日、
    時政らは重忠の殺害について
    息子の北条義時に相談する
  • しかし、義時はこれを拒絶
  • 翌日、幕府から
    重忠追討軍が送られ、
    畠山一族は滅亡する
  • さらに二十三日、
    この争いで
    時政側についていた
    稲毛重成も時政に殺された
  • 権力を掌握したかに見えた
    時政・朝雅・牧の方だが…
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参考書籍