後醍醐天皇崩御

暦応元年(1338)九月、
後醍醐天皇は
奥州、常陸、九州に
三皇子を派遣。
懐良親王は九州へ。
船の難破などもあったものの
宗良親王は遠江へ、
北畠親房は常陸へ。
そして暦応二年/延元四年
(1338)八月十六日、
後醍醐天皇は吉野で崩御する

「室町政争戦乱史」目次
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南朝三皇子派遣

  • 暦応元年/延元三年
    (1338)九月、
    後醍醐天皇は
    奥州、常陸、九州の三か所に
    皇子を派遣する
  • 懐良親王は九州へ
  • 宗良親王と北畠親房を常陸へ
  • 義良親王と北畠顕信を奥州へ

南朝船難破

  • しかし、伊勢大湊から
    常陸・奥州に向かった組は
    船が難破
  • 北畠顕信は伊勢に戻り、
    翌年再度奥州へ
  • 義良親王は結局吉野へ戻る
  • 宗良親王は遠江に漂着。
    井伊家の庇護を受ける
  • 親房は常陸国東条浦に漂着
  • 一方、
    懐良親王は讃岐に逗留

後醍醐天皇崩御

  • 暦応二年/延元四年
    (1338)八月十六日、
    後醍醐天皇崩御
  • 「身は縦南山の苔に埋るとも
     魂魄は常に北闕の天を望まん」
    (「太平記」より、
    後醍醐天皇の遺言の一部)
  • 義良親王が天皇に即位
    (後村上天皇)

場所

参考文献