元弘の乱(博多合戦、鎮西探題滅亡)

元弘三年(1333)五月、
足利尊氏の六波羅攻撃、
新田義貞の鎌倉進攻により、
鎌倉幕府は滅亡した直後、
鎮西探題も倒幕勢に攻撃され、
滅亡する

「室町政争戦乱史」目次
natsunishiki.com/muromachi_seisoushi/

菊池合戦(元弘三年三月)

  • 足利高氏・新田義貞らが
    挙兵する前の、
    元弘三年(1333)三月、
    肥後国の御家人・
    菊池武時が軍勢を率いて
    博多の鎮西探題を襲撃
    (阿蘇惟直も同行)
  • 筑前国守護・少弐貞恒、
    豊後国守護・大友貞宗と
    協力する予定だった
  • 武時らは博多の町に
    火を放つ
  • が、少弐・大友らは決起せず
  • 武時らはは敗北し、
    一族郎党もろとも
    打ち取られた
    (惟直は撤退)
    (二百余りの首が
    晒されたという)

博多合戦(元弘三年五月)

  • 元弘三年(1333)五月、
    足利高氏の六波羅攻撃、
    新田義貞の鎌倉進攻により、
    鎌倉幕府は滅亡
  • その直後の
    五月二十五日、
    鎮西探題・北条英時を
    討幕軍が包囲
    (包囲側には
    少弐貞恒、大友貞宗などがいた)
  • 観念した北条英時らは
    一族もろとも自害する

場所

参考文献