元弘の乱(新田義貞挙兵、鎌倉幕府滅亡)

元弘三年(1333)
上野国の新田義貞
倒幕の兵を挙げ、
鎌倉に進攻。
得宗・北条高時らは自害し、
鎌倉幕府は滅亡する

「室町政争戦乱史」目次
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新田義貞挙兵

  • 元弘三年(1333)五月、
    足利高氏が幕府に叛旗を翻し、
    六波羅探題を攻撃。
    六波羅探題は滅亡する
    natsunishiki.com/genkou_no_ran_2/
  • それとほぼ同時に、
    上野国の御家人・
    新田義貞が倒幕の挙兵
    (義貞の弟・脇谷義助など)
  • 高氏の子息・
    千寿王(のちの足利義詮)と合流。
    兵力数をさらに増やす
  • 上野から南下し、
    幕府軍と激戦。
    (武蔵国小手指原などで
    合戦があったとされる)
    分倍河原で義貞軍が勝利し、
    鎌倉へ迫る

鎌倉突入・北条高時自害

  • 元弘三年(1333)
    五月十八日から
    数日に渡って
    鎌倉の各所で
    攻防戦が繰り広げられ、
    五月二十日前後、
    義貞軍は鎌倉に突入。
  • 得宗・北条高時
    東勝寺へ落ちのび、
    前執権・金沢貞顕、
    北条基時らとともに自害
    鎌倉幕府は滅亡した

補足

  • 鎌倉攻防戦において、
    新田勢と幕府勢は当初
    極楽寺坂、巨福呂坂、化粧坂の
    三方面で戦った。
    義貞本隊は極楽寺坂で戦ったが、
    攻めきれず、
    稲村ヶ崎から鎌倉に突入した
  • 巨福呂坂で幕府軍として
    奮闘し、戦死したとされる
    赤橋守時の妹は赤橋登子。
    登子は高氏の妻で、
    つまり守時は高氏の義兄となる

場所

参考文献