元弘の乱(足利高氏六波羅攻撃)

元弘三年(1333)、
足利高氏らは、
鎌倉幕府の命を受け、
後醍醐天皇軍の
討伐へ向かう。
しかし、
高氏は鎌倉幕府の
六波羅探題を襲撃し、
六波羅探題は滅亡する

「室町政争戦乱史」目次
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足利高氏挙兵

  • 元弘三年(1333)、
    隠岐から脱出した
    後醍醐天皇は、
    名和長年の協力を得て、
    船上山に籠城する
    natsunishiki.com/genkou_no_ran_1/
  • 鎌倉幕府は
    討伐の援軍として御家人の
    足利高氏、名越高家を
    派遣する
  • 四月、名越高家は
    赤松則村勢を攻撃するが
    逆に敗れ、戦死してしまう
  • 四月二十九日、高氏は
    丹波篠村(しのむら)で
    倒幕の兵を挙げ、
    五月、篠村から出陣

六波羅探題滅亡

  • 高氏は赤松則村、
    千種忠顕と協力し、
    六波羅探題を攻撃
  • 当時の六波羅探題は、
    北方・北条仲時、
    南方・北条時益という
    布陣だった
  • 仲時・時益は
    光厳上皇らを連れて
    近江方面へ脱出
  • 高氏らが京都を制圧
  • 時益は山科で
    落武者狩りにあい、
    殺害される
  • 仲時は
    近江国番場宿までくるが、
    包囲されてしまい、
    蓮華寺で自害。
    四百人余りの同行者も
    自刃する
  • 光厳天皇らは
    後醍醐天皇方に
    保護される
  • 楠木正成の千早城を
    包囲していた幕府軍も
    撤収した

場所

参考文献