元弘の乱(楠木正成千早籠城、後醍醐天皇隠岐脱出、赤松則村入京)

元弘二年(1332)から
三年にかけて、
吉野で護良親王、
河内(千早・赤坂)で楠木正成、
播磨の赤松則村、
九州の菊池武時らが
あいついで反幕府の挙兵。
また、元弘の変で敗れ、
隠岐に流されていた後醍醐天皇
元弘三年(1333)に脱出し、
名和長年とともに
伯耆国船上山に立て籠もる

「室町政争戦乱史」目次
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護良親王、楠木正成再挙兵

  • 元弘の変で敗れ、
    後醍醐天皇は
    隠岐に配流となっていた
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  • 逃走した護良親王は、
    紀伊・河内あたりを転々。
    各地に倒幕を促す
    宣旨を送る
  • 元弘二年
    (1332)十一月、
    護良親王、吉野で挙兵
  • 同元弘二年
    (1332)十一月、
    行方をくらましていた
    楠木正成も赤坂城を奪還。
    千早城
    で籠城を開始
    (千早 = ちはや)
  • その後、翌元弘三年
    (1333)二月には
    護良親王の立て籠もっていた
    吉野山は落城するが
    護良親王は脱出し、
    再び逃亡

後醍醐天皇隠岐脱出、船上山籠城

  • 元弘三年(1333)閏二月、
    後醍醐天皇は隠岐を脱出
  • 名和長年が後醍醐天皇を保護
  • 後醍醐天皇と長年らは、
    伯耆国船上山(せんじょうさん)で
    籠城を始める

赤松則村挙兵

  • さらに
    同元弘二年(1332)には
    播磨で赤松則村(円心)も
    挙兵していた
  • 則村は
    六波羅探題の追討軍を破り、
    京に向かって進軍
  • 尼崎で敗れるものの、
    さらに進軍し、
    桂川で六波羅探題軍を圧倒
  • 一時京にまで進軍するが、
    その後、男山に籠城

補足

  • 実は
    元弘二年=正慶元年。
    「正慶」は光厳天皇が
    制定したもので、
    後に後醍醐天皇はこれを無効とした
  • 名和長利は、
    名和湊あたりで
    海上交易のリーダーとされる
  • この時期、
    菊池武時も
    幕府の鎮西探題を襲撃しているが…

場所

参考文献