義材将軍就任、第二次近江征伐

九代将軍義尚が
近江で客死したのち、
将軍不在期間を経て
延徳二年(1490)、
義視の息子・義材が
将軍就任。
延徳三年(1491)から
明応元年(1492)にかけては
義材も近江征伐を決行し、
これを成功させる

「室町政争戦乱史」目次
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義尚死去、義視・義材父子上洛

  • 長享三年(延徳元年)
    (1489)三月、
    第一次近江征伐の途中で、
    九代将軍足利義尚が死去
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  • すぐに後継を目指し、
    足利義視と
    その息子義材が
    上洛
    (応仁の乱で敗れていた
    義視らは、美濃にいた)
  • しかし前将軍で
    義尚の父の義政が
    政務を執ることになり、
    このとき義材の擁立は
    実現しなかった

義材将軍就任

  • 翌延徳二年(1490)正月、
    義政死去
  • 義材は
    日野富子の他、
    畠山政長らに擁立され、
    同年七月、今度こそ
    室町幕府第十代将軍
    座に就く。
    義材二十五歳であった
  • このとき、
    細川政元は
    堀越公方足利政知の子で、
    天龍寺香厳院にいた
    清晃(後の足利義澄)
    を推していたというが、
    かなわなかった

六角高頼問題

  • ところで、
    義尚が鈎の陣中で
    没したのち、
    追討の対象とされていた
    六角高頼と細川政元は
    和睦していた
  • しかし
    高頼の下で戦っていた者たちは、
    その後も所領を返還しなかった
  • 板挟みになった
    高頼は永源寺に隠居するが、
    義材はこれに不満を持つ

第二次近江征伐

  • 延徳三年(1491)四月、
    細川政元の制止を無視し、
    将軍足利義材は近江に
    高頼追討の軍を進め、
    園城寺光浄院に陣を置く
  • 翌明応元年(1492)十月、
    高頼は伊勢に逃亡
  • 同年末、
    義材軍は京に凱旋。
    義材の権威は高まった
    かのように見えた…

補足

  • 義材の父・足利義視は
    義材将軍就任の直後、
    延徳三年(1491)正月に
    死去している
  • 清晃の父・足利政知も、
    延徳三年(1491)、
    失意の中死去
  • 義材将軍就任にあたっては、
    細川政元の屋形を
    貸し出させることで、
    「政元も義材就任を
    後押ししている」
    とアピールしたらしい
  • 1492年10月には、
    クリストフォロ・コロンボが
    アメリカ大陸近くの
    サンサルバドル島に
    上陸している
  • 「幕府による
    第一次征伐が失敗し、
    第二次征伐が成功した」
    という結果は、
    江戸幕府の長州征伐とは
    逆になる

場所

参考書籍