江の島合戦

永享の乱後、
鎌倉公方・関東管領、
ともに不在だったが、
持氏の遺児・
足利成氏が鎌倉公方に
上杉憲実の子息・
山内上杉憲忠が関東管領に
それぞれ就任する。
しかし、宝徳二年(1450)、
上杉家家臣の
長尾景仲・太田道真らが
成氏と開戦するが、
対立の火種を残す

(室町政争戦乱史
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natsunishiki.com/muromachi_seisoushi/)

流れ

  • 永享の乱(1438)の後、
    鎌倉公方は不在、
    上杉憲実は隠遁
    natsunishiki.com/eikyou_no_ran/
  • この頃、
    上杉清方(越後家)
    (憲実の実弟)
    (しかし、結城合戦後死去)、
    山内上杉家の家宰・長尾景仲、
    扇谷上杉家の家宰・
    太田道真(どうしん)(=資清)らが
    関東の政治を執っていた
  • 文安四年(1447)、
    足利持氏の遺児・万寿王丸が
    鎌倉に入り、
    文安六年、元服し、
    足利成氏として鎌倉公方に就任
  • それと前後して、
    関東管領には
    山内上杉憲忠
    (上杉憲実の息子)が
    就任し、鎌倉府が復活する
  • 鎌倉公方復活に伴い、
    永享の乱・結城合戦で
    持氏・安王丸・春王丸側として
    戦い、敗れていた
    北関東の豪族たちが
    成氏のもとに集結
    (小山、宇都宮、千葉など)
  • しかし、
    景仲、道真らは
    彼らに抵抗
  • 宝徳二年(1450)四月、
    成氏と景仲、道真が
    江ノ島で開戦
  • 上杉憲忠らは鎌倉を脱出。
    成氏側が勝利する
  • しかし、
    室町幕府の指示により、
    成氏は景仲・資清らを
    赦免せざるをえなくなる
    (ただ、この時期の
    室町幕府管領・畠山持国は、
    比較的成氏に融和的だったとされる)
  • 成氏と上杉家の対立は
    残ったまま、享徳の乱へ
    natsunishiki.com/kyoutoku_no_ran_1/

補足

  • 成氏の鎌倉公方就任、
    憲忠の関東管領就任の年は、
    本によって一、二年違いがある
  • 憲実の隠居の意志は固く、
    息子たちも政治にかかわることを
    禁じ、出家させた。
    が、長男「龍忠」が還俗し、
    上杉憲忠となり、
    「龍春」が上杉房顕となる
  • 江の島合戦時(1450年)の年齢。
    足利成氏は十歳代から二十歳代前半
    (いろいろ説がある)。
    上杉憲忠は二十歳前後だと考えられる
  • 太田道真=資清は太田道灌の父。
  • 江の島合戦の
    引き金になったのは
    結城氏朝の子・
    結城成朝の出仕を巡ってだった、
    とも(「敗者の日本史」)

参考書籍

  • 「歴史REAL
    関東戦国150年史」

    洋泉社MOOK
    駒見敬祐 = 文(該当部分)
    amazon.co.jp/dp/4800316510
  • 「図説 室町幕府」
    戎光祥出版)
    丸山裕之 = 著
    ebisukosyo.co.jp/item/359/
  • 「図説 鎌倉府」
    戎光祥出版
    杉山一弥 = 著
    これら三冊はすでにおなじみ
    ebisukosyo.co.jp/item/535/
  • 「戦争の日本史9
     応仁・文明の乱」
    吉川弘文館
    石田晴男 = 著
    この本はやや難しいので、
    ビギナーは上記三冊のような
    「図説」本を
    読んでからの方が良い
    yoshikawa-k.co.jp/book/b33974.html