永享の乱

永享十年(1438)、
鎌倉公方・足利持氏が
関東管領・上杉憲実と開戦。
室町幕府六代将軍・足利義教は
憲実を支援し、
幕府・上杉方が持氏を滅ぼす

「室町関東政争戦乱史概略
 (結城合戦まで)」
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「室町政争戦乱史 目次」
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開戦までの流れ

  • 応永三十二年
    (1425)十一月、
    鎌倉公方足利持氏が、
    前将軍・足利義持に
    使者を送り、
    自分が義持殿の猶子となり、
    上洛して奉公したい
    と申し出ようとするが、
    使者は義持と対面すら
    許されず、追い返される
  • 翌応永三十三年(1426)、
    持氏、花押を
    足利将軍家のタイプに変更
  • 応永三十五年
    (正長元年、1428)、
    義持死去
    後任を決める籤引の結果、
    六代将軍は
    青蓮院門跡義円と決定。
    (のちの義教)
    鎌倉公方足利持氏は激怒
  • 京都では
    「正長」から「応永」に改元。
    しかし持氏は
    「正長」を使い続ける
  • 永享六年(1434)三月、
    持氏、鶴岡八幡宮への願文で
    「怨敵を討ち、
    関東支配を永久に続ける」
    決意を示す
  • 永享八年(1436)、
    持氏は信濃国の争いへの介入を計画。
    (小笠原氏と村上氏の争い)
    (信濃は鎌倉公方ではなく、
    室町幕府の管轄国)
    これを関東管領・
    上杉憲実が止める
  • 永享九年(1437)、
    「持氏が憲実征討に派兵する」
    という噂が流れ、
    開戦間近の空気に。
    しかし、ここで持氏が妥協し、
    一時和解

開戦から終戦まで

  • 永享十(1438)年六月、
    持氏の嫡子賢王丸が元服。
    持氏は「義久」と名乗らせる
    (将軍の一字を
    偏諱としてもらうのが通例で、
    憲実もそう進言していたが、
    持氏は無視)
  • 永享十年(1438)八月、
    憲実は自分の守護国である
    上野国に帰国
    (「鶴岡八幡宮の
    放生会(ほうじょうえ)
    (儀式の名前)で、
    憲実が持氏に殺害される」
    という噂があったため)
  • 持氏は憲実追討を命令
  • 室町幕府は憲実を全面的に支援
    後花園天皇が治罰の綸旨を発行
  • 永享十年(1438)九月、
    相模国早川尻(小田原市)で
    両軍が衝突し、
    鎌倉府方が敗戦。
    その後、
    鎌倉府方では裏切りが続出
  • 永享十年(1438)十一月、
    幕府軍が鎌倉に進入
  • 持氏は降伏
    剃髪して鎌倉永安寺(ようあんじ)に幽閉
  • 憲実は持氏の助命を求めるが、
    義教は許さず、殺害を命令
  • 永享十一年(1439)二月、
    上杉軍は永安寺を攻撃、
    持氏は自害する。
    同月義久も自害

補足

  • 永享四年(1432)九月、
    義教は富士山を見物し、
    持氏を挑発したとされる
  • この時期、比叡山延暦寺と
    義教が対立し、
    比叡山が半ば滅ぼされる、
    「永享の山門騒動」
    があり、事件当時、
    比叡山と持氏が
    結んでいるという噂があった
  • 永享の乱に際した
    後花園天皇の治罰の綸旨は、
    漢語調の壮麗なもの
    (この点を桃崎有一郎は
     特別視する)
  • 戦後、
    憲実はこの一件を悔いて
    出家・隠遁し、
    息子たちも多くを出家させたが、
    彼らも平穏な人生は送れなかった
    natsunishiki.com/kyoutoku_no_ran_1/
  • 持氏の遺児のうち、
    安王丸と春王丸も、
    やはり過酷な運命をたどる
    natsunishiki.com/yuukigassen/
  • 室町時代(および徳川時代)の
    人物は、だいたい
    「偏諱を貰った将軍と同時代か、
    ちょっと若い」
    と考えると覚えやすい。
    偏諱とは、地位の高い人から
    名前の一字を貰うことで、
    足利義持→足利持氏
    足利義勝→細川勝元
    足利義政→細川政元
    徳川綱吉→徳川吉宗
    徳川家斉→徳川斉昭
    など…。
  • むろん、例外もある。
    伊達政宗(独眼竜)は
    足利義政より100年以上後の人。
    実は初代・伊達政宗がいて、
    有名な伊達政宗は二代目なのだ

場所

  • 早川尻古戦場
    小田原市とのことだが、
    詳細な場所が分からない
  • 永安寺
    永安寺は廃寺となっており、
    残っていない。
    瑞泉寺総門の側
    に碑があるとのこと
    kcn-net.org/sisekihi/youan.htm

参考書籍

  • 「歴史REAL
     関東戦国150年史」

     洋泉社MOOK
     駒見啓介 = 該当部分の文
     図や写真が多く、
     「ちょっと関東戦国史に
     興味があるなあ」
     という人に
     最適な一冊なのだが、
     絶版になってしまった
     (出版社が吸収された)
     amazon.co.jp/dp/4800316510/
  • 「図説 室町幕府」
     戎光祥出版
     丸山裕之 = 著
     第三部の合戦・政争史では
     室町時代の主要な政争・政変の
     概要がまとめられており、
     素晴らしい
     (しかし、室町時代は、
     それでもまだまだ
     扱っていない戦が
     残っているのだが)
     ebisukosyo.co.jp/item/359/
  • 「図説 鎌倉府」
     戎光祥出版
     杉山一弥 = 編著
     第三部の合戦・政争史では
     「小田氏の乱」という
     マイナーな戦まで掲載している
     ebisukosyo.co.jp/item/535/
  • 「室町の覇者
     足利義満」
     ちくま書房
     桃崎有一郎 = 著
     この本はめっちゃ面白いし、
     文体が読ませる。
     けどたぶん異端
     chikumashobo.co.jp/product/9784480072795/