文永の役(博多の戦い)

元軍博多上陸

  • 松浦地方の戦いで
    勝利した元軍は
    東へ進む
  • 文永十一年(1274)
    十月十九日、
    元軍、博多へ到着。
    博多湾の西側の
    百道原(ももちばる)や
    今津から上陸した
  • 日本側の指揮官は
    鎮西西方奉行・少弐資能、
    東方奉行・大友頼泰

元軍の戦闘

  • 日本側と元側では
    戦の方法が
    だいぶ異なっていた
  • 元軍は鉄で火薬を包んだ
    「鉄砲」(「てつはう」)を
    使用
  • また矢毒も使っていた
  • ただし、
    「日本側は
     名乗りを上げてから
     攻撃した」
    という逸話は
    信憑性が疑問視されている

元軍撤退

  • 福岡平野での合戦は
    元軍勝利に終わり、
    元軍は博多の街や
    筥崎宮に火をつけ焼き払う
  • 一方日本側は
    白村江の戦い後に
    造られた
    水城に撤退する
  • しかし、
    十月二十一日、
    元軍の船は
    いなくなっていた

撤退の理由

  • いわゆる
    「神風」
    が吹いたのか、
    議論が分かれている
  • 「撤退は予定通りで、
     期間途中に
     突風に吹かれた」
    という説も
  • ともあれ、
    弘安の役は
    短期間で終わった

場所

参考書籍