無勅許条約/不時登城/戊午の密勅

日米修好通商条約

  • 安政五年(1858)三月、
    老中堀田正睦の
    条約調印に向けての
    調停工作は失敗
  • 四月二十三日、
    南紀派の井伊直弼が
    大老に就任する
  • 六月十九日、
    井伊は日米修好通商条約に調印する
  • そして、井伊直弼は
    六月二十五日に
    慶福が将軍継嗣となることを
    発表しようとする

一橋派無断登城

  • 将軍継嗣発表前日の
    六月二十四日、
    徳川斉昭、
    徳川慶篤(水戸)、
    徳川慶勝(尾張)、
    松平慶永(越前)、
    一橋慶喜(御三卿)
    が江戸城に登城
  • 斉昭らは井伊の
    条約無勅許調印を非難するが、
    井伊は聞き入れず
  • 六月二十五日、
    井伊は徳川慶福(徳川家茂)が
    十四代将軍になることを発表した

大獄のはじまり

  • 六月二十三日、
    堀田正睦老中解任
  • 七月五日、
    不時登城した大名たちが
    隠居・謹慎処分となる
  • そして七月六日、
    十三代将軍徳川家定は
    死去する

戊午の密勅

  • 八月八日、
    朝廷から水戸藩に、
    勅諚が届く
    (条約調印と大名処分を
    批判する内容)
  • 幕府を通さずに
    水戸藩に出した密勅に、
    井伊直弼は激怒
  • 水戸藩内でも、
    勅書を返納しようとする派
    返納反対派で大混乱し、
    流血の事態となった

補足

  • この頃、
    コレラが大流行
  • 松平春嶽は
    不時登城のとき、
    斉昭・慶喜らが
    井伊と口論している部屋に、
    家格を理由に入れなかった

参考書籍