義材北陸彷徨

明応二年(1493)に
脱出した足利義材は
まず越中の神保氏、
ついで越前の
朝倉氏のもとへ逃れ、
京の細川政元・足利義澄と
対峙するが、
両者決め手がないまま
戦いが続く。
その後の
明応八年(1499)、
畠山尚順が
畠山基家を倒した機に
義材も上洛を目指すも敗退。
義材は周防の
大内義興に身を寄せる

「室町政争戦乱史」目次
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義材越中放生津へ

  • 明応二年(1493)四月、
    細川政元らが
    十一代将軍として
    義遐(=義澄)を擁立し、
    十代将軍義材は廃される
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  • 六月に幽閉から
    脱走した義材は
    畠山政長の領国のひとつ、
    越中放生津
    (ほうじょうづ)の
    神保長誠を頼る
  • 明応二年(1493)、九月
    政元は義稙に追っ手を
    差し向けたが、
    義材方が圧勝
  • しかし、明応二年(1493)
    義材が政元・義遐打倒の
    旗揚げを行なっても、
    諸大名は動かなかった

義尹越前朝倉家へ

  • 明応六年(1497)頃から
    義材は政元と
    和平交渉を行なうが、
    政元側の反対で決裂
  • この頃、義材は
    義尹(よしただ)と改名
  • その後、義材は
    越前の朝倉貞景のもとに
    身を寄せる

尚順、基家に勝利

  • 明応八年(1499)二月、
    故・畠山政長の息子・
    畠山尚順(ひさのぶ)
    畠山基家に勝利
    (基家は敗死)
  • これにより
    越前の義尹と
    河内の尚順で
    義澄・政元を
    挟撃する機会が!
  • しかし、
    朝倉貞景は兵を出さず
  • 義尹は近江坂本まで進むが、
    六角高頼の兵に攻められ、
    敗退
  • 明応八年末、義尹は
    周防の大内義興の下へ
    逃れる

場所

参考書籍